2016年 01月 14日
どんと祭の囃し言葉「ヤッハエロー」は消えたイスラエル支族に関係していた! 平成29年塩釜神社どんと祭 [右の私のエキサイトブログの項目をクリックすると行ったり来たり出来ます。是非覗いて下さい。] [尚、巨石やピラミッド山等について、 関心のある方は是非、「イワクラ学会」の「検索」をお勧め致します。] 左義長!所謂、どんと祭の行事は、日本全国で行われている。 その行事の呼び方、名前は、地方によって色々である。 只、現在は、ダイオキシン問題や火災の危険から行事そのものを止めている所も多く、又、規模を縮小したり、自然的に無くなってしまったりしている所も多い。今年も塩釜神社どんと祭会場では持参されたものへの燃えない物を分別する様繰り返しお願いしていた。 逆に、懐かしく、素朴な年初めの新たな気持ちを呼び起こすこの行事を、年配の方々を中心として、復活しようとする地域の動きもあると聞き及ぶ。 今では、かつての、日本全国での伝統的なこの風習は、かなり、様変わりしているようである。 さて、本題であるが、日本全国のこの正月のどんと祭行事が、各地域で何と呼ばれ、焚き上げの際の囃し言葉・掛け声やどんな願いを持って行われているか興味のある所であり、調べてみた。 全国全ての都道府県及び、特定の市町村を含め、72箇所にわたり、夫々の庁広報課若しくは教育文化財担当関連部門の方にメールで調査ご依頼をし、回答をお願いした。 ご協力、ご回答を頂いた所は以下の通り、39道府県市町である。 北海道、宮城県、山形県、福島県、群馬県、埼玉県、新潟県、富山県、長野県、岐阜県、静岡県、三重県、京都府、大阪府、兵庫県、和歌山県、島根県、岡山県、香川県、高知県、佐賀県、長崎県、熊本県、大分県、の各県の他、市町村では、鹿児島市、青森県一戸町、三戸町、五戸町、八戸市、岩手九戸町、宮城七ヶ宿町、山形酒田市、鶴岡市、米沢市、金山町、三重伊勢市、島根出雲市、鹿児島川内市、鹿児島串木野市である。 以上であるが、ご多忙中の所、私個人の調査依頼に時間を割いてお調べ頂き、ご回答をお寄せ頂きました事に、この場を借りて、心から御礼を申し上げる次第である。 尚、不明の都府県等についても、文献「日本の民族(第一法規)」を参考にさせて頂き、その実態は全国を網羅した。 各県市町の調査結果については、概略、別表として添付しているが、特に、山形県南部一帯の、特異な囃し言葉・掛け声について考えてみた。 これにリンクする私のエキサイトブログで、「神社の謎!そのルーツは古代イスラエルの幕屋にあった!」があるが、これと同様、山形県南部のどんと祭の謂れは、古代イスラエルの神との絡みが浮かび上がる!と言わざるを得ないのである。 祭事名は、県南部はどんと祭、サイトウ焼、オサイト、ヤハハエロー、山形市はいわいいわい、米沢・川西・高畠・南陽・白鷹・飯豊・長井は、サイト焼・サイトウ焼・オサイト・サイド焼・サエド焼と色々あるが、掛け声は、全て、「ヤハハエロー」「ヤハハイロー」「ヤッハッエロー」であり、特異なのである。 焚き上げしている時の囃し言葉・掛け声は、地域によっては、「耳糞、鼻糞飛んでげー」「出物腫れ物疝気すんばこ吹っ飛んでげー」「祝い祝い、三五の祝い上がり切っだら持ってえげー」「貧乏持ってげ、果報持って来い!」「アキの方さもっかえろー」(アキとは恵方の事、もっかえろーとは倒れろーという意味)等と叫んでいるが、全てにおいて、メインの囃し言葉・掛け声は、「ヤハハエロー」「ヤッハッエロー」なのである。 焚き火の場所や単位は、昔は各家庭でやったが、村境、神社など集落でも行われた。 願いは、無病息災、家内安全、五穀豊穣、字の上達、厄除け、招福、落雷防止等〃であった。 関東、中部、北陸地方のどんど焼きは、そもそも道祖神を火を焚いて祀るものであった。 問題は焚き上げの囃し言葉・掛け声が、「何故、“ヤハハエロー”なのか!」である。 民俗学見地からは、「家が栄えるように」、即ち、ヤ(家)が、ハエロー(栄え)という祈願の意味だと言う。 いや、しかし神(仏も)をお焚き上げで送るものである事から一寸違和感がある。 私が小さい頃、親父からは「神様や仏様が迷わずここに降りて来られるように、又、天に戻って行ける様に火を焚いて拝むんだ!」と教えられたが、それとは祈願の意味がズレれているのだ。 盂蘭盆の初日には、我が家を間違わないように迎え火を焚いて迎え、同様に最後の日には送り火を焚いて送ったものである。昔は神仏混淆であった。 仏様のお札やお飾りも、小正月の神様のお札、竹、注連縄、書初めも、一緒にお焚き上げして神様と祖霊も送ったものである。 この、どんと祭の囃し言葉・掛け声が、■民俗学見地の「家(屋)は、栄ろー」(ヤハ、ハエロー)とは、県南部の神送りの言葉としてどうしても馴染まないのである。確かにごじつけ?の様に感じるのである。後年、民俗学者が「ヤハハエロー」を無理に意味付けした気がしてならないのである。 実は、私が中学生の時、ボーイスカウトに入っていた。何かの終わりの時に、必ず「イヤーサカ」「イヤーサカ」「イヤーサカ」と叫んだものだった。 この年になるまで、恥ずかしながら、「イヤーサカ」が「弥栄」と書く事を知らなかった。 一応総理の、「アァ ソウ」が、「いやーさかえ」と案の定読んで叩かれていたあのイヤーサカである。 意味は、「いよいよ、益々良くなるように!災いも転じて福となるように!」という事を知った。 ボーイスカウトの中学生時代から、てっきり、「バンザーイ」の英語版位にしか思っていなかったのである。 民俗学的に言うどんと祭の囃し言葉・掛け声は、「家は栄えろー」が「ヤハハエロー」でなく、「イヤーサカー」と叫ぶ様に変わるなら、むしろ納得出来ようというものではないだろうか! 現代語では、家はヤと読むだろうが、昔はこの地域の方言として家の事をヤとは言わなかった。 県南部で家の事は、山形では正式には「やかばね」と言い、短く言えば「え」であった。例えば「家に帰る」でも、「えさけえる」といい、米沢は「おらーじ」「おらえとこ」「おらーとこ」、東置賜、新庄では「え」と言ったり、「うじ」と言い、私のうち(家)という場合は、「おらえ」、「おらうじ」と言う。 私も南部高畠町出身であるが、「おらえ」であった。 日本方言大全集を調べてみても、家を、「ヤ」と呼ぶ地域は、日本全国でも、岐阜県飛騨と鹿児島県喜界島と沖縄県首里しかない。 さて、唐突であるが、どんと祭が神送りのお焚き上げであるなら、縄文草創期の古代歴史の有数な地域の県南部地方は、ユダヤ「ヤハウェ」の影響を受けていたのではないだろうか! 囃し言葉・掛け声!即ち「ヤッハッエロー」「ヤハハエロー」は、そのものずばり「ヤハウェ!」「ヤハウエー(天に)カエロー」から訛ったものではないだろうか! 消えたイスラエル十支族が青森に向かう途中、一握りのグループがここに住みつき、現地人と混血して同化し、神社を造り、その名残りとしての唯一の神「ヤハウェ」を祀り、神仏混交をして、天にお送りする為、お焚き上げしたのではないだろうか! 混血も現地に同化した場合、3代もすれば、容貌も言葉も習慣も全く代わってしまう!といわれてるものである。 こうした傾向は世界中至る所にある。 南部藩の馬の謎、戸来村(ヘブライ村)のキリストの墓やイスラエルの風習、一戸~九戸に分れて夫々暮らしたイスラエル支族、竹内巨麿の大石神ピラミッド、大湯ストンサークルと黒又山、十和田古代文明などなどに関連する事実と古文書等等からも、島根県出雲に上陸した、消えた10支族イスラエル人が全国に散らばり、北上したグループは、青森に定着する途中のこの地・山形県南部に一部は住みつき、元もとの地元の神の祀りや仏や祖先の敬愛風習と同化し、送り火・お焚き上げの風習になったのでは?という事も頷けるのではないだろうか! 夫々焚き上げの際、心に念ずるお願いは、色々拡大したり、変わって行く事は当然あったと思う。家の繁盛もあったであろうし、挙句は、山形県の朝日村や温海町の様に、餅を焼き、互いに交換した餅や、予め決めておいた餅がくっついたら夫婦になれる!等という占いや、また鳥追いなどの様に、自分達の願望も多種多様になって行っても決して不思議ではない。 ただ、この地域だけが色濃く残り、根底にある神仏は、やはり声をあげてお送りしたのではないかと思う。 既述したイヤーサカ(弥栄)について! 『・・・・このブログ開設後1年半経ったこの度、飛島昭雄・三神たける著「失われた原始キリスト教徒 「秦氏」の謎」を読ませて頂いたのだが、P320~324に、・・・・「弥栄」(イヤーサカ)を「八坂」と書く様に、八幡とは、「弥秦」という説もある。「古語拾遺」に「秦の字を詠みて、これを波陀(ハダ)と謂ふ」とある。「(弥坂=)八幡=弥秦=イヤ秦」に適用すれば「イヤハダ」である。・・・・ユダヤはヘブライ語で「イエフダー」である。言語学的に極めて母音変化が起こりやすい。そこで、「イエフダー」と「八幡=イヤハダ」と比較して欲しい。即ち、「八幡」とは、「ユダヤ」の事だったのである。同時に八幡の神は、「イエフダー神」つまり「ユダヤ神」だった事を意味する。言い換えれば絶対神「ヤハウェ」なのだ。』と、ある。・・・・目をむいたものである。全くそのものズバリではないか! そう言えば、ここには立派な八幡神社がある。既述の「秦氏」の謎の通り、「イヤーサカ」の解釈の通りとすれば頷けるものではないか! 「ヤハウェ!」や、「ヤハウェ!カエロー!」と叫び声をあげた日本古来の神と混交した神への祈りが「ヤッハッエロー」に変わったという説はどうであろうか!こじつけで強引といわれるであろうか・・・・・・! 私の整理したブログの「神社の謎!そのルーツは古代イスラエルの幕屋にあった!」をご覧頂ければ、まんざらこの説が荒唐無稽とは言えないと思うのであるが如何であろうか! 惜しむらくは、全国にイスラエルの祖の人達が散った筈なのに、ここ山形県南部だけが「ヤハウェ」を叫ぶ事に疑問も残るのであるが、それは認めるし、与太話と捉えかねない脆弱さを持つものである事も承知である。 しかし逆に言えば、ここだけに残る!というのは、神仏の信仰であるが故であり、山又山に囲まれたここ山形県南部だけに伝承される!と言う様な、限定的な傾向は広い世界中に存在するのではないか。 以上、私見であるが、果たして皆さんはどう捉えられるであろうか!・・・・・・興味津々の行事ではある。
by yo-hamada4
| 2016-01-14 21:09
| どんと祭のルーツ
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